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二十四時間の出來事を洩(も)れなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら寫生文を鼓吹(こすい)する吾輩でもこれは到底貓の企(くわだ)て及ぶべからざる芸當と自白せざるを得ない。従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描寫に価する奇言奇行を弄(ろう)するにも関(かかわ)らず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾(いかん)である。遺憾ではあるがやむを得ない。休養は貓といえども必要である。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯(こがら)しのはたと吹き息(や)んで、しんしんと降る雪の夜のごとく靜かになった。主人は例のごとく書斎へ引き籠(こも)る。小供は六畳の間(ま)へ枕をならべて寢る。一間半の襖(ふすま)を隔てて南向の室(へや)には細君が數え年三つになる、めん子さんと添乳(そえread.99csw•comぢ)して橫になる。花曇りに暮れを急いだ日は疾(と)く落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町(となりちょう)の下宿で明笛(みんてき)を吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底(じてい)に折々鈍い刺|激を與える。外面(そと)は大方朧(おぼろ)であろう。晩餐に半(はん)ぺんの煮汁(だし)で鮑貝(あわびがい)をからにした腹ではどうしても休養が必要である。
小供の方はと見るとこれも親に劣らぬ體(てい)たらくで寢そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだと雲わぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子はその復讐(ふくしゅう)に姉の腹の上に片足をあげて踏反(ふんぞ)り返っている。雙方共寢た時の姿勢より九十度はたしかに廻転している。しかもこ九-九-藏-書の不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も雲わずおとなしく熟睡している。
ほのかに承(うけたま)われば世間には貓の戀とか稱する俳諧(はいかい)趣味の現象があって、春さきは町內の同族共の夢安からぬまで浮かれ歩(あ)るく夜もあるとか雲うが、吾輩はまだかかる心的変化に遭逢(そうほう)した事はない。そもそも戀は宇宙的の活力である。上(かみ)は在天の神ジュピターより下(しも)は土中に鳴く蚯蚓(みみず)、おけらに至るまでこの道にかけて浮身を窶(やつ)すのが萬物の習いであるから、吾輩どもが朧(おぼろ)うれしと、物騒な風流気を出すのも無理のない話しである。回顧すればかく雲(い)う吾輩も三毛子(みけこ)に思い焦(こ)がれた事もある。三角主義の張本金田君の令嬢阿倍川の富子さえ寒月君に戀慕したと雲う噂(うわさ)である。それread.99csw.comだから千金の春宵(しゅんしょう)を心も空に満天下の雌貓雄貓(めねこおねこ)が狂い廻るのを煩悩(ぼんのう)の迷(まよい)のと軽蔑(けいべつ)する念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。吾輩目下の狀態はただ休養を欲するのみである。こう眠くては戀も出來ぬ。のそのそと小供の布団(ふとん)の裾(すそ)へ廻って心地快(ここちよ)く眠る。……
細君は乳呑児(ちのみご)を一尺ばかり先へ放り出して口を開(あ)いていびきをかいて枕を外(はず)している。およそ人間において何が見苦しいと雲って口を開けて寢るほどの不體裁はあるまいと思う。貓などは生涯(しょうがい)こんな恥をかいた事がない。元來口は音を出すため鼻は空気を吐呑(とどん)するための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無精になってなhttps://read.99csw.comるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞(へいそく)して口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりも見ともないと思う。第一天井から鼠(ねずみ)の糞(ふん)でも落ちた時危険である。
今夜も何か有るだろうと覗(のぞ)いて見ると、赤い薄い本が主人の口髯(くちひげ)の先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっている。主人の左の手の拇指(おやゆび)が本の間に挾(はさ)まったままであるところから推(お)すと奇特にも今夜は五六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時計(たもとどけい)が春に似合わぬ寒き色を放っている。
ふと眼を開(あ)いて見ると主人はいつの間(ま)にか書斎から寢室へ來て細君の隣に延べてある布団(ふとん)の中にいつの間にか潛(もぐ)り込んでいる。主人の癖として九九藏書寢る時は必ず橫文字の小本(こほん)を書斎から攜(たずさ)えて來る。しかし橫になってこの本を二頁(ページ)と続けて読んだ事はない。ある時は持って來て枕元へ置いたなり、まるで手を觸れぬ事さえある。一行も読まぬくらいならわざわざ提(さ)げてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細君が笑っても、止せと雲っても、決して承知しない。毎夜読まない本をご苦労千萬にも寢室まで運んでくる。ある時は慾張って三四冊も抱えて來る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えて來たくらいである。思うにこれは主人の病気で贅沢(ぜいたく)な人が竜文堂(りゅうぶんどう)に鳴る松風の音を聞かないと寢つかれないごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであろう、して見ると主人に取っては書物は読む者ではない眠を誘う器械である。活版の睡眠剤である。