0%
九 - 11

九 - 11

「とうとう鰻が天上して、豚が仙人になったのさ」
「まだある。苦沙彌先生御茶でも上がれと雲う句がある」
「そうでなくても構わないさ。どうせ気狂だもの。それっきりかい」
「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」
「いるだんじゃない。自大狂(じだいきょう)で大気焔(だいきえん)を吐いている。近頃は立町老梅なんて名はつまらないと雲うので、自(みずか)ら天道公平(てんどうこうへい)と號して、天道の権化(ごんげ)をもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行って見たまえ」
「あぶないね。誰だい」
「うん、真中が赤くてread.99csw.com左右が白い。一風変った狀袋だ」
「それじゃ僕の所(とこ)へ來たのも老梅から來たんだ」
「河豚と朝鮮仁參の取り合せは旨(うま)いね。おおかた河豚を食って中(あた)ったら朝鮮仁參を煎(せん)じて飲めとでも雲うつもりなんだろう」
「立町老梅君(たちまちろうばいくん)さ。あの男も全く獨仙にそそのかされて鰻(うなぎ)が天上するような事ばかり言っていたが、とうとう君本物になってしまった」
「気狂だけに大(おおい)に凝(こ)ったものさ。そうして気狂になっても食意地だけは依然として存しているものと見えて、毎回必ず食物九九藏書の事がかいてあるから奇妙だ。君の所へも何とか雲って來たろう」
「なかなか因縁(いんねん)のある狀袋だね」
「本物たあ何だい」
「八木が獨仙なら、立町は豚仙(ぶたせん)さ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地と禪坊主のわる意地が併発(へいはつ)したのだから助からない。始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べていたよ。僕のうちなどへ來て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の國では蒲鉾(かまぼこ)が板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いているうhttps://read.99csw.comちはよかったが君表のどぶへ金(きん)とんを掘りに行きましょうと促(うな)がすに至っては僕も降參したね。それから二三日(にさんち)するとついに豚仙になって巣鴨へ収容されてしまった。元來豚なんぞが気狂になる資格はないんだが、全く獨仙の御蔭であすこまで漕ぎ付けたんだね。獨仙の勢力もなかなかえらいよ」
「その時も幸(さいわい)、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後(ご)東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麥飯や萬年漬(まんねんづけ)を食ったせいだから、つまるread•99csw•comところは間接に獨仙が殺したようなものさ」
「むやみに熱中するのも善(よ)し悪(あ)ししだね」と主人はちょっと気味のわるいという顔付をする。
「うん、海鼠(なまこ)の事がかいてある」
「本當にさ。獨仙にやられたものがもう一人同窓中にある」
「天道公平?」
「あれはね、わざわざ支那から取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在(あ)って赤しと雲う豚仙の格言を示したんだって……」
「君の所へも來たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い狀袋だろう」
「何の事だい、それは」
「天道公平だよ。気狂の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平九九藏書(こうへい)とも書く事がある。それで何でも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいと雲うので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰ったが、中にはなかなか長い奴があって不足稅を二度ばかりとられたよ」
「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」
「それから河豚(ふぐ)と朝鮮仁參(ちょうせんにんじん)か何か書いてある」
「そうでもないようだ」
「アハハハ御茶でも上がれはきびし過ぎる。それで大(おおい)に君をやり込めたつもりに違ない。大出來だ。天道公平君萬歳だ」と迷亭先生は面白がって、大に笑い出す。主人は少からざる尊敬をもって反覆読誦(どくしょう)した書翰(しょかん)の