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十一 - 25

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吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽(らく)になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭(ぬぐ)うがごとく腹內(ふくない)に収めた。
主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木(こ)の葉は大概落ち盡した。死ぬのが萬物の定業(じょうごう)で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢こいかも知れない。諸先生の説に従えば人間の運命は自殺に帰するそうだ。油斷をすると貓もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか気がくさくさして來た。https://read.99csw.com三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろう。
それからしばらくの間は自分で自分の動靜を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。貓じゃ貓じゃが踴りたくなる。主人も迷亭も獨仙も糞を食(くら)えと雲う気になる。金田のじいさんを引掻(ひっか)いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。起(た)ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。
勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間(ま)にか消えているが、月夜と思われて窓から影がさす。コ九-九-藏-書ップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。硝子(ガラス)の中のものは湯でも冷たい気がする。まして夜寒の月影に照らされて、靜かに火消壺(ひけしつぼ)とならんでいるこの液體の事だから、唇をつけぬ先からすでに寒くて飲みたくもない。しかしものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、真赤(まっか)になって、熱苦(あつくる)しい息遣(いきづか)いをした。貓だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにしておく事だ。死んでからああ殘念だと墓場の影から悔(く)やんでもおっつかない。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興(すいきょう)でこんな腐ったものを九_九_藏_書飲むのかわからないが、貓にはとても飲み切れない。どうしても貓とビールは性(しょう)が合わない。これは大変だと一度は出した舌を引込(ひっこ)めて見たが、また考え直した。人間は口癖のように良薬口に苦(にが)しと言って風邪(かぜ)などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒(なお)るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸(さいわい)だ。この問題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中までにがくなったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲(もう)け者(もの)で、近所の貓へ教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。眼をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。
呑気(のんき)と見え九-九-藏-書る人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも獨仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かも知れないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨(たます)りをやめてとうとうお國から奧さんを連れて來た。これが順當だ。しかし順當が永く続くと定めし退屈だろう。東風君も今十年したら、無暗に新體詩を捧げる事の非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がむずかしい。生涯(しょうがい)三鞭酒(シャンパン)を御馳走して得意と思う事が出來れば結構だ。鈴木の藤(とう)さんはどこまでも転(ころ)がって行く。転がれば泥がつく。泥がついても転がれぬものよりも幅が利(き)く。貓と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、先達read•99csw.com(せんだっ)てカーテル·ムルと雲う見ず知らずの同族が突然大気 (だいきえん)を揚(あ)げたので、ちょっと吃驚(びっくり)した。よくよく聞いて見たら、実は百年前(ぜん)に死んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥土(めいど)から出張したのだそうだ。この貓は母と対面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の餚(さかな)を啣(くわ)えて出掛けたところ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、自分で食ってしまったと雲うほどの不孝ものだけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時などは詩を作って主人を驚かした事もあるそうだ。こんな豪傑がすでに一世紀も前に出現しているなら、吾輩のような碌(ろく)でなしはとうに御暇(おいとま)を頂戴して無何有郷(むかうのきょう)に帰臥(きが)してもいいはずであった。